こどもブロイラーからの救出が「家族」だという点は、すごく象徴的だと思う。陽鞠は、晶馬の“家族になる”ことで、こどもブロイラーから助け出される。
「家族」とはもっとも原始的な人間関係であり、私たちにとっての最初の「社会」だ。ヒトはカラダだけでは生きていけない。ヒトは社会的な居場所があって初めて生きていける。だから家族が必要なのだ。陽鞠は高倉家の一員となり、色を失わずに済んだ。兄妹三人の家が異常なほどカラフルなのは、あの家が透明化に抵抗する場所だからだろう。
重要なのは「人間関係のなかで意味を持つこと」であって、別にそれは家族でなくてもいい。地域のつながりだとか、寺の檀家仲間だとか、そういう共同体ならば何でもいい。人間関係のなかで意味を持つことができれば、人は透明にならずにすむ。「わたしのことを覚えていてくれるヒトがいる。それだけでいい」というセリフの意味は、端的にヒトが一人では生きていけないことを、ヒトが他人の記憶のなかで生きる生き物だということを示している。
ところが地域社会や信仰仲間といった共同体は、現在ではすっかり解体されてしまった。私たちは「家族」以外の社会を喪失している。
ヒトは「社会」がなければ生きていけない。「家族」は最初の社会だ。そして家族を作るためにヒトは「恋愛」の本能を持った。
しかし恋愛は商品となり、消費の対象となった。第20話冒頭の「キスをし続けるといつか空っぽになる」とはそういう意味じゃないかな。いまの私たちが言う「恋愛」は、その“本来の目的”から離れてしまったよね、と。
ヒトは社会的な生き物だから、放っておけば勝手にコミュニティを作る。地域社会や共同体といったものが無くなったのだとすれば、「共同体を壊しつづける仕組み」があるはずだ。
その仕組みに対する唯一の対抗手段が、恋をして、家族を作ることだった。――少なくとも、今までは。
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ここからはピングドラムから少し離れるけど、「どうやって共同体を取り戻すのか」が、いまの私たちの中心的な興味になっていると思う。
勝ち組のノマドになれるのは一部の“選ばれた”ヒトだけで、そういうヒトしか色を保てない。透明にさせられた私たちは、必死で色を取り戻そうとしているんじゃないだろうか、意識的にせよ無意識的にせよ。